はじめに。。。

Chapter-01 ~地域の建築史の探索について~

 

尾張に生まれ尾張に育ち地域を知っている建築家として『尾張』を歴史的に理解する。そもそも尾張とはどういう意味なのか。何時から尾張と言う言葉と地域があったのか。過去の尾張の歴史をどれだけ知っているか。私見ですが、三英傑を産んだ戦国時代。これが一般的認識では尾張という言葉が強い意味を歴史的に認識する出来事。それ以外も含めてまずは、ゆっくり尾張を紐解き歴史を旅してみます。

 

以下について今後探索していきたいと考えています。

 

  A。尾張という言葉の起源と歴史

  B。尾張とは地域の定義

  C。尾張の文化と特色

  D。尾張の商業の発達と街道について

 

 

少し堅苦しいですが、愛知県史等刊行物等より抜粋の内容にて尾張の概要を知る所から始めたいと思います。

 

※今回は尾張の位置・地勢及び尾張の建物に関連することの総論について

  また、写真及び地図については著作権フリーの資料を利用しています。

 

Position and terrain ~位置・地勢(愛知県について)~

 

愛知県は、日本列島のほぼ中央部に位置し、太平洋が湾入した伊勢湾・三河湾や太平洋に臨んでいる。県域は、東西106km、南北94km、海岸線の総延長は564kmに達し、総面積は5151㎡を数え、東は静岡県、東北は長野県、北・西は岐阜県、西の一部は三重県に接する。

 

地勢は長野県境の茶臼山(標高1415m)を最高峰として、南西に緩やかに傾斜し、標高800~400mの高原状の三河山地が広がり、丘陵、台地、低地へと移行する。

 

低地は、西方の木曽川流域の尾張平野(濃尾平野)、中央部の矢作川右岸の洪積台地と沖積平野を合わせた岡崎平野、東部の豊川流域に発達した河岸段丘と沖積平野からなる豊橋平野である三河山地と濃尾平野の間には標高200m以下の尾張丘陵があり、これが帯状に南方に延びて知多半島を形成している。

 

 

General statement ~愛知県の建物について 総論~

愛知県は、関東と関西の間にあって、古くから地政学的に重要な地位を占めてきた。県内の尾張と三河では風土や性格などは異なるものの、それぞれに特徴をもって日本の歴史に重要な役割っを果たしてきたといえよう。

 

したがって愛知県には古代より多くの神社や寺院などが建てられてきたが現在では古代の建築は全く遺っていない。

 

神社は熱田神宮をはじめ、古い歴史をもつものも多いが、社殿の造替が頻繁に行われたためかあまり古い建築はない。

 

また寺院も古代に創建されたものや寺院跡は多くあるものの、建築には古代のものは遺っていない。もっとも、古代の建築が遺っている県はきわめて少なく、愛知県が特殊なわけではない。

 

一方、民家や近代初頭のわずかな建築を除くと、わが国の記念的建築は地方性に乏しく中央のデザインや技術はいち早く地方に伝えられており、とくに中央と関係の深かった愛知県では、地方的特色はあまり認められず、少なくとも現在遺っている中世以降の建築には、中央に匹敵するものが多い。さらに近世においては、徳川家の権勢の下に、大規模な優れた建築が建てられた。

 

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